第8回日本比較政治学会奨励賞 選評
受賞作:于海春「権威主義体制国家における情報統制―武漢「封鎖」に対するインターネット上の感情温度の分析から―」(『日本比較政治学会年報第26号』、2025年、pp. 217-244)
本論文は、権威主義体制下における自然災害や公衆衛生上の危機への対応に向けた情報統制について、新型コロナウイルスの感染拡大初期の武漢封鎖をめぐる中国共産党と政府のSNS上での情報統制戦略の特徴を明らかにしたものである。潜在意味スケーリング(Latent Semantic Scaling: LSS)を用いてWeibo(中国最大のSNS)上における感情温度の変化を分析し、武漢封鎖については中国共産党と政府による「情報の水増し」と「情報削除」が併用されていたことを実証的に示している。
本論文の長所として、次の3点を指摘することができよう。第一に、問いが興味深い点である。権威主義体制下における情報操作については既存の研究の蓄積があり、中国を対象としたものも少なくない。しかし、武漢封鎖における情報統制については国家メディアに注目したものがほとんどである。そこで、武漢封鎖の際にWeibo上でどのような感情温度の変化が見られたのか、大衆の注目をそらすようなポジティブな情報発信が見られたのか(また、それはどのように拡散されたのか)、ネガティブな情報は削除されていたのか(また、それは全体の感情温度にどの程度影響していたのか)、という三つの問いを立て、既存の研究を参照しながら手堅い仮説導出を行っている。
第二に、複数の分析手法を巧みに組み合わせている点である。感情温度の変化の分析については、近年特に非西欧言語への適用の有用性が認められているLSSを、Weiboへのポジティブな投稿のリツイートによる拡散についてはネットワーク分析を、それぞれ適切に使用している。また、武漢封鎖期間中と封鎖終了後の2回に分けて事後的に収集されたWeibo投稿から成るデータセット1と、Open API経由で10~15分ごとに収集された特定のユーザー群のWeibo投稿(検閲前の投稿が含まれている可能性が高い)から成るデータセット2との比較を行うことによって検閲の効果を検証している点も、称賛に値しよう。
第三に、以上のような分析を行った結果、興味深い結論を導き出している点である。筆者によれば、武漢封鎖が行われた際、Weibo上ではポジティブな感情とネガティブな感情を持つ投稿が大幅に増加したが、封鎖直前の1月19日から急激にポジティブな方向に移行していった。そして、その要因として、芸能人関連のボットによるポジティブな投稿のリツイートと、情報検閲によるリツイート回数の多いネガティブな投稿の大量削除を指摘できるという。
ただし、本論文に短所が全く無いわけではない。先述したように、本論文の問いや手法は適切であるが、全体としてはファクトファインディング的な性格が強い。本研究をさらに発展させるためには、比較政治学への理論的貢献を念頭に、外的妥当性を意識した仮説の構築とその検証を行う必要があろう。
以上のように、本論文にはまだ改善の余地が残されてはいるものの、大変クオリティの高い研究である。選考委員会は、全会一致で、本論文を第8回日本比較政治学会奨励賞に選出した。
2025年4月
日本比較政治学会奨励賞選考委員会